2007年3月15日 (木)

34.稲刈り

田の草取りをなんとか乗り切り、肥料を多く入れすぎて倒伏することさえなければ、お天道様のお陰で稲は順調に育ちます。葉がやや黄ばんできて、稲穂も黄色くなったころ、いよいよ稲刈りです。

稲を刈る前に収量を予想してみましょう。田の縁は一般に茎数が多いので、むしろ田の真ん中の稲株を1株選んで計算のサンプルにします。田植えのとき、畝間は30cmとして株間を15cmの並木植えにするか30cmのいわゆる尺角植えにするかで計算は違います。15cmなら1坪72株ですし、30cmなら36株です。いま並木植えで計算してみます。まず穂のついている茎の数を数えます。かりに1株12本としましょう(一般に尺角植えだと茎数は多くなる)。次に穂についている籾の数を数えます。全部数えるのが大変なら平均した長さの穂で数えればいいでしょう。かりに1穂80粒とします。1粒の籾は約0・02gですから、0・02×80粒×12本×72株で、1坪当たり1382g、10アールは300坪ですから300倍すると518・4kg。1俵は60kgですから反当たり6・9俵となります。米専門農家ではないので、まずまずの出来と考えたらいいでしょう。

さて、周囲の田を見渡すと、大型のコンバインが稲刈りから脱穀までを田圃の中で一挙にやってしまいます。そんな光景を横目に見ながら、昔ながらの手鎌での稲刈り。もっとも、日本人の優れた発明の一つであるバインダという刈取り結束機もあって、これは小さな田圃でも使えます。この機械はおそらく農家の納屋に眠っていると思われますから、ほとんどタダ同然で譲って貰えるでしょう。

そうして刈って束ねた稲は稲架(はさ・おだ)に掛けて天日干しするのですが、これは地方によっていろいろ形式が異なります。関東地方ではおだ足という1m50cmほどの木の棒と沢山の稲束の重さにも耐えられる長柄(ながら)という数mの長い棒(孟宗竹でもよい)で組むのですが、その材料もまた近所の農家に眠っているでしょうから、もらい受けたらいいでしょう。稲架の組み方は農家のお年寄りに教ると良いでしょう。こうして約10日間ほど干します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月 2日 (金)

33.田の草とり

「しろかき」をした田は、地中にばらまかれてあった去年までの雑草の種子が土がかき回されたことによって水と一緒に表面に浮くので、不耕起の田よりも雑草がたくさん生えることになります。通常、稲が穂を出す前に3回草取りをする(3番草まで取る)ことになっていますが、うっかりしていると草の生えるのに追いつかず、2番草までで手をあげてしまうこともしばしばです。

1番草とは、実は草が生える前に取る草のこととでも言えばいいでしょうか、目にかすかに緑を感じる、つまり雑草が発芽したばかりの頃にデッキブラシで田の表面をこすることでオーケーとしましょう。これは田植えを終えてから1週間ないし10日くらいの間にします。

2番草はさらに10日くらい後にする草取りで、田の水を落として手押し除草機で畝の間を押しながら除草をします。草は土中に埋まるし、泥が盛り上がるので株間の草も死にます。これを水を張ったままですると、押すのは楽ですが、浮いた草がまた沈んで根をつけたり、株間の草が残るなど、良い結果になりません。

3番草は、取り残しで大きくなった雑草を腰をかがめて手で取る、いわばいちばん大変な作業です。稲の葉先で目を突かないように気をつけながら、草を土の中に埋め込んでいきます。基盤整備がしてある大きな田ですと、なかなか終わらず気が遠くなりますが、谷津田のような1枚1枚が小さな田なら、それも楽しい作業の一つになります。

田によって雑草の種類もさまざまです。いちばんやっかいなのはヒエで、初めのうちはイネと見分けがつかず、そのうちに手で抜けないほどの太い株になるからです。かりに取り残したなら、穂だけでもしっかり摘んでおくことです。うっかり種子がばらまかれでもしたら、それこそ翌年はヒエ田に変貌するからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月16日 (火)

30.田んぼを借りる

稲作も大型機械でするようになって以降、1枚の田が小さい谷津田と言われる田の多くは不耕作のままになっています。ですから、米をつくろうと思えば谷津田ならほとんど地代無しで借りることができます。基盤整備がなされていて、蛇口ひとつひねれば水がでるような灌漑設備の行き届いた田は地代として平均米2俵(それに相当する金額)、あるいは地代は安いが水利組合費や土地改良費などを年割りで払わされることになります。それに、1枚の田がかりに10アールとしても、そうした田は幅10メートル縦100メートルですから、草取りなど腰をかがめてする作業では気が遠くなってしまいます。それに比べると谷津田は1枚1枚が比較的狭いので、仕事の達成感もあり、面積に圧倒される感覚からも逃れられます。

谷津田はまた、農薬が混じっていないきれいな沢の水を常時取水することができることが強味です。自分の思い通りの水管理ができるわけです。ただし、その分手間が人一倍かかることは覚悟しなければなりません。畦、これをクロと言いますが、このクロ塗り(水がもれないようにどろどろの土で畦の内側を塗りつける作業)をする畦の長さは田の枚数が多ければ多いだけ長いからです。それに、ザリガニやモグラがいつ畦に穴を開けるかわかりません。気付いたときには田が干上がっていたなどということも起こります。そのため、毎日田を見てまわる必要があります。この「田まわり」は、「作物は人の足音を聞いて育つ」とも言われることからも、それをよしとしましょう。

ところで、ここ数年、谷津田での米つくりを楽しんでいる友人がしきりと頭をかかえるようになりました。それはイノシシによる被害です。やっと実った稲を食べられたり、田をぐじゃぐじゃに荒らされるのです。里山が放置され、人と獣の境界がはっきりしなくなったためと思われます。

田を借りるには、地元の農家の口利きを必要としますから、その折りに土地条件やイノシシの有無などをあらかじめ聞いておくことが肝心です。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年1月11日 (木)

29.米つくりを考える

田舎に住まいを移したその地域が、稲作地帯なのか畑作地帯なのか、あるいはそれら田畑と縁遠い山の中なのかで、生活に取り入れる農的暮らしのスタイルは自ずと異なります。そのことを重々承知の上で、でも日本人と米は切っても切れない関係にあるので、ここでは敢えて米つくりに一文を割くことにいたします。

こんにちの日本は米はあり余っているし、お金を出せばスーパーでもどこでも手に入ります。それなのになぜわざわざ米をつくるのか。この問いに合理的な回答は出せないのですが、晩秋のある日、籾すりが終わって玄米が入った茶色の30キロ袋が、かりにそれが1袋であっても、ドサッと足もとに置かれたときの感慨は、一種独特のものがあります。

米はその字のごとく昔は八十八も手間をかけてつくるものと言われていましたが、今は機械がその多くを引き受けてくれるので、素人でもそこそこにつくることができます。慣行農法でする米つくりは田植えから収穫まで、途中の薬剤散布をもすべて機械でしているので、一時期を除き、田んぼの中に人間を見ることはほとんどありません。そうして穫れた米の袋を前にしたとき、果たしてその感慨はどのようなものでしょうか。

長いサラリーマン生活で米つくりはズブの素人なのに、移り住んだ1年目から田んぼを借りて自前の米を食べている家族を、私は身近に数組知っています。それらの人の耕作する姿を思い浮かべながら、もちろん私自身の経験もまじえて、米つくりの概要を述べることにいたします。

50代以上の人ならば、おそらく誰もが幼少期に泥んこ遊びや水遊びをした経験があるはずです。米作りはどうもそうした遊びに通じるところがあり、遠い昔に置き忘れてきた遊び心を呼び覚ます作用をもっているのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月22日 (金)

28.車を考える

 この文章は「準備準備講座」ですので、もうそろそろこの辺で・・・と思っていたところ、「もう少し書け、失敗談などあるだろう」との声が聞こえてきました。と言うことは、百姓暮らしの中身に少しばかり立ち入って書けということになりましょうか。

そうなるとまず考えられることは、物を運ぶ量が一輪車から軽トラックに一気に跳ね上がることです。軽であれ普通であれ、ワゴン車の荷台および後部座席をたたんで運搬スペースをつくって間に合わせている人も私の周囲にはいますが、収穫物のほかに堆肥や資材など様々なものの運搬が予想されるので、私は四駆の軽トラックを手に入れることをお勧めします。

田舎暮らしは車のあることが必須条件です。日常の買い物、とりわけ畑に関連して農協やホームセンターとの縁が深くなると、そうした農業資材の販売店は売り場面積を広くとれる郊外にある場合が多いのでなおさらです。乗用車の車種についてとやかく申し上げる資格は私にありませんが、仮に家族で車が2台必要ならば、その1台を軽トラックにしてはいかがですか、といいたいのです。農家では廃車にした軽トラックの運転席の屋根を取りはずして畑や果樹園の中で使ってるくらい、軽トラックはとことん使いきるので、中古のものが市場に出ることは少ないと言われていますが、私は現に知り合いの自動車整備工場に頼んでおくと、15万円から25万円くらいで性能のいいものを見つけてくれます。新品は望ましいにしても、田舎暮らしも日が浅く、まだ収穫物の成果も定かでないのに生産の一手段であるトラックだけが新しいというのは、投資のしすぎではないかというのが私の考えです。

借りられる畑が近くにあるとは限りません。舗装のしていない農道や畦を走るケースが多うでしょうから、同じ軽トラックでも四駆であることが望ましいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月27日 (月)

27.農機具を揃える

 家庭菜園的な面積数アールの畑の場合と10アール以上の畑の場合とでは農機具の揃え方にもおのずと違いがでてきます。私の知人で数アールの自給用の畑を耕している人は、耕耘はすべて平鍬と万能(刃の爪が3~5本ついた土起こしに適した農具)と唐鍬(刃が厚く木や竹、笹の根を切るのに威力を発揮する)でやっています。特に唐鍬は刃が重い分だけ雑草とりには適しています。鍬の自重を利用して軽く土の表面を削るだけでしつこい雑草も簡単にとれます。

鎌は3種類用意したらいいでしょう。刃が外側についている草刈り用のもの。刃が内側についていていくらか厚手の篠竹や小枝を切るのに適したもの、それに作物の近くの雑草を丁寧にけずり取る小鎌。このほかに通称〈無精鎌〉という立ち鎌(ホー)があります。刃先が平らないしはV字形の長い柄が付いているもので、立ったままで雑草の生えた土の表面を削ることができます。つえ代わりにホーを持って畑の見回りをしながら、その都度畑の表面を削っていると、草も生えずにすみます。

問題は耕耘機です。トラクターは数十馬力の大型からのから十数馬力の小型のものまでありますし、自動耕耘機(ハンドトラクター)、ティラー、豆トラ、管理機(作物と作物の間の畝間を耕す機械)などもあり、畑の規模によってどれを取得するかは悩むところです。いずれにせよ先ずは中古品を顔見知りの農機具店に探してもらうと良いでしょう。トラクター以外のものは小さいだけにそれだけ機械操作に力がいります。それと、耕した後に轍が残るので、表面を平にする整地用のレーキ(櫛の歯のようなものがついた長柄の農具)という器具がいります。

堆肥や土を運むのに一輪車が1台あったほうがいいでしょう。ホームセンターで買えば、そんなに高いものではありません。それと、どうしても家や畑の周辺にはびこる雑草を刈るのにエンジン式の刈り払い機が必要になってきます。堆肥の材料を集めるのに熊手とともになくてはならない常備の器具と思ってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月13日 (月)

25.ニワトリを飼う

百姓暮らしを始めるにあたって、家畜を飼うかどうかは悩むところです。私としては、せっかく田舎で農的暮らしをするのだから当然家畜は飼うものと思っていたのですが、どうもそういうものでもないらしいということが分かったからです。

 15年ほど前に百姓になった2人の子持ちの若いカップルは、もっぱら野菜栽培だけで、家畜は飼わない主義。肥料は知り合いの酪農家から牛糞を調達して間に合わせています。彼らが生きものを飼わないわけは、野菜の収穫が一段落した冬場に亭主の実家がある広島やかみさんの実家がある北海道にワゴン車で長期旅行をするのを慣わしにしているためです。家畜がいてはそうはいきません。これも田舎暮らしの一つのスタイルということはできます。

 ただ、自給的複合経営としての農家を目指すのであれば、家畜は田畑と同様に農家経営の重要な要素です。

 その際、一般にニワトリを飼うことから始めるようです。自給用に数羽飼う人もいれば、最初から数百羽単位で飼う人もいます。卵や肉は自給の食材としてきわめて有用ですし、大規模養鶏場から供給される市販の鶏卵の安全性が問われる中、平飼い養鶏の卵は貴重な存在として当座の現金収入の確保に役立つからです。それに仮に10坪の鶏舎に50羽飼い、雛から育てて廃鶏にするまでに2年を要したとすると、その間に敷き料であるもみ殻やオガクズ、それに毎日与える青草や野菜くずとニワトリの糞が混ざることによって、およそ鶏舎の床土から30~40cmの厚さの鶏糞堆肥が得られるからです。

 ところで、ニワトリの雄は深夜の2時ごろから鳴き出します。私などは慣れてしまったのでまったく気になりませんが、ご近所が嫌がるかも知れません。そのあたりのことは日頃のおつき合いで違ってきますが、あらかじめ養鶏を構想した上で土地探しをするのでしたら、一応はそのことも頭に入れておく必要があるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 1日 (水)

24.いよいよ百姓暮らしへ

身辺多忙を理由にこの欄の執筆が滞ってしまったことをお詫びします。本講座は単に田舎暮らしというよりも、自給的な暮らし、つまり百姓暮らしになにがしかのヒントを与えられればというところに目的があるので、その方向に話をすすめていくことにいたします。

新しく移り住んだ家の敷地が広いか狭いかは百姓暮らしとはなんの関係もありません。畑が自分の敷地内にある必要はまったくないからです。農機具を置く場所、穫れた穀物を庭先で干すスペースくらいがあればいいでしょう。いまはどこにも不耕作地があり、農家ではその管理に頭を悩ませています。なにしろ、放置しておけば雑草が生え、その種が周囲に飛び散るので近所迷惑になるし、2年もすれば篠竹やクズやセイタカアワダチソウがはびこって、それこそ再生不能になってしまうからです。タダでいいから耕してほしいというのが実情のようです。田んぼも谷津田では同じです。つまり、田畑は借りればいいのです。

近年の地代の相場は、10アール当たり年に畑で1万円、田では女権の良いところで米2俵(2万円強)、谷津田のようなところでは1万円からタダまで。もっとも、この貸す借りるはいわゆる口約束です。正規の契約は農業者でないとできません。その違いは前者だと、返して欲しいと言われたときは返さざるをえませんが、後者だと法的に耕作権が発生するので、借り主に有利に働くことになるからです。地代は大抵は暮れの12月に支払います。お金のほかに何か1品添えれば喜ばれるでしょう。

現状として50アールを耕作していれば農業者として認められ、農業委員会をとおしての正規の貸借ができるので、田畑を取得したいと思うのであれば、無理矢理でも合計50アールの田畑を借り受け、なにがしか作物を作っておくことで農業者の資格を得る方法があります。農業者になれば農業委員会委員の選挙権も得られます。面白いことに、周りの農家を見ての感想ですが、いったん農業者になれば実際に耕作している耕地が50アール以下になっても農業者であることには変わりがないようです。

一方、農協の組合員には農業者でなくても加入できるようです。本来は農業者の団体であるのでしょうが、私の友人はそれほど耕作していないのに、「俺も組合員だ」と自慢していましたから。組合員にならずとも、農協に口座を設けたり、商品の取引をすることには農協は垣根を設けていないようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 4日 (水)

23.水へのこだわり

水のことではいろいろ苦労やら失敗やらを重ねているので大きな口はきけません。もちろんもっぱら地下水を使ってはいますが、土地の選定時からして良くないと反省しきりでして、それだけに「水へのこだわり」はそうとうなものなのです。

さて、都会の水道水はおもに河川の水を塩素殺菌したもので、とうてい美味しい水などとは言えないしろものです。特にお茶には水道水はダメ、井戸水に限ります。それも水が停滞している深井戸より浅井戸のほうがいい。山に堆積した落ち葉の腐食層をくぐって地下に浸透した流水を、飲み水の専門家は味のある最良の水と評価するようです。

こんにち、水道の基本料金もばかになりません。「水はタダ」という時代はとうに過ぎ、うっかりすると新聞代2紙分ほどの金を毎月支払うことにもなります。つまり、土地を選定するときにはまず井戸が掘れるかどうかを調べることが先決事項となります。もし水質の良い地下水を探し当てることができたら、田舎暮らしの目的の重要な一項を確実に手にしたことになります。

私の知人が岐阜の山村に移り住んだとき、まず最初にしたことは、本人は農業とは無縁なのに、集落の稲作農家組合に加えてもらい、田に引く水の権利を買うことでした。それというのも、自分の庭の池に水を引き込み、魚を飼うためでした。こうした農業用水とは別に、もしあなたの家の近くにきれいな沢の流れがあるようなら、もっと容易に庭とはいわず家の中まで水を引き込むことができるでしょう。昔の民家に見られたように、台所の流し台の横の水槽に水を引き込めば、炊事の水はもとより、スイカやビールを冷やす天然の冷蔵庫を得たことになります。

近年、雨水利用の関心が高まっています。大屋根に降った雨水をすべて地下の水槽に溜め、水洗トイレや洗濯の水、つまり「中水道」として活用するというものです。

せっかくの田舎暮らしです。ここ日本の気候風土がもつ恵まれた水環境を最大限に活かして、生活をさらにグレードアップしてみてはいかがでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年9月21日 (木)

22.薪を活用しよう

日本の家屋は昔から「夏を旨とすべし」として作られていました。つまり、夏の暑さと湿度を考えてのことでしょう。しかも欧米とは違い、日本の家屋は本来カギなどはかけない開放的な造りでしたから。ただし、地域によっては冬の寒さは厳しいもので、それは年輩者にとっては身にしみて感じるところです。

風呂の燃料もそうですが、すべてを中近東産石油に頼るのではなく、せっかくの田舎暮らしですからこの際はその土地で手に入る薪を活用することを考えてみてはいかがでしょう。薪と灯油ではその温かさの感触がまるで違います。なお、風呂炊き用や給湯用に薪と灯油の併用式があり、これはなかなか便利です。

庭の隅に薪小屋を造るなり、家の外壁に薪を積み上げるなどして、夏のうちに薪を確保するのですが、さて薪はどこで手に入れればいいかとなると考えてしまいます。それを自分でするのもとりわけ年輩者には重労働に感じるでしょう。

薪になるものにはいろいろあります。家を建てた大工さんに頼んで施工の際に出る柱や板の木っ端をもらうのもよし、製材所から出る通称バタという丸太の皮付き切れ端、果樹園から出る剪定枝や幹、近くの山の間伐材なども入所可能です。ムラの人にそれとなく相談していると、けっこう声がかかるものです。薪の大きさにそろえるのにはそれなりの労力が要りますから、体力に自信がなければお金を払って薪つくりを頼むことも可能です。

薪ストーブは北欧製の数十万するものからトタン製の5000円ほどのものまであります。ホームセンターに行けば日本製の鋳物の立派な薪ストーブが5万円ほどで買えます。私は農協から100リッターのドラム缶をもらい、鉄工所で自分の設計どおりに2万円で造らせました。私はほかに掘り炬燵を囲炉裏に作り替え、炭の火も楽しんでいます。障子一枚あるだけでも部屋はじゅうぶんに温かいことがわかりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月12日 (火)

21.新米村人の心得

新しい居住者に対してムラの人はどう見ているでしょうか。なにしろ素性の知れない新しい居住者なのですから、家の工事が始まってこのかた、あなたのことはその都度茶飲み話に上っているはずです。「ご近所への手拭いひとつもっての挨拶まわり」は当然としても、その後でさえあなたは集落内では格好の「話題の人」なのです。ですから、日頃ムラの人たちに「見られている存在」と覚悟を決め込み、泰然と構えている風でなければいけません。

私の家は山の中にあって垣根も塀もないので、山菜採りにでも来たのかひょっこり見知らぬ人が顔を出すことがあります。しかし、そんな時に不審な眼差しで相手を見ないことにしています。こちらは相手を知らなくとも相手はこちらを熟知しているかも知れないからです。ひとわたり会話がはずんで別れてから、さて今の人はどこの誰かと、まるでわからないこともしばしば。それでいいのです。私は、かりに相手が空き巣ねらいであっても、会えばまずこちらから親しげに声をかけることにしています。

登山経験者ならお分かりのように、山道ですれ違えば必ず挨拶を交わします。同じことで、ムラの農道でかりに車同士がすれ違ったときなど、互いに頭を下げて挨拶の気持ちを表します。都会にはない習慣です。

私の妻はアパート住まいがほとんどでしたから、今でも来客があると立ったまま挨拶をしてしまうのですが、農家のご婦人は必ず頭の手拭いを取り膝を折って相手を迎えます。上がり框(かまち)に腰を掛けて話をするようなときなど、決まってお茶と菓子が出されるのですが、1枚ずつ袋に入っている煎餅でさえ、それを客に勧めるのに箸でつまんでします。そうしたムラ人のなにげない所作に私はいつも感動を覚えるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 7日 (木)

20.「付合い」をどうするか

都会ですと地域にはそれぞれ自治会とか町内会があり、それが行政の下請け機関の役割を果たします。私の住む農村地域にもそれに類するものがありますが、どこかねじれた感じがしないでもありません。

行政としての地名の下に字(あざ)があり、それが区として扱われていて区長がいます。その区の下にいくつかの班があり、区を通して町の広報紙や回覧板などが班に下りてきます。ここまでは、名前こそ違え都会の自治会などと変わらないのですが、実はこの班は組(くみ)とか坪(つぼ)とか言われることもある何代も前からの生活共同体でもあるのです。つまり、行政の末端の機能を果たす一方での共同体。葬式は当家がするのではなくて班すなわち組が取り仕切りますし、組には子安講という婦人だけの集まりが残っているところもあります。今はなくなりましたが、農業機械が普及するまでは田植えや稲刈りなどは組内(くみうち)がお互いに助け合ってやっていました。

今、あなたがこの新しい土地に住居を構えたとして、あなたはその班に入るべきかどうか、あるいは入らせてもらえるかどうかがさしずめすぐに問題となります。

そんな煩わしいことは嫌だからと班には入らなくてもいいし、せっかくこの土地に住むのだから班に入って田舎の付き合いをしてみたいというもう一つの道を選ぶこともできます。もっとも、100年以上も同じ気の知れた仲に新しい人を入れることに抵抗を感じる班も当然あるので、逆に「無理して班に入らなくてもいいよ。道普請や空き缶拾いなどの時に参加してくれれば」とやんわり断られることもあります。

問題なのは、班に入らないと回覧板や広報紙が来ない(広報紙は郵送されるかも)とかゴミ集積所が使えないことです。一市民としての同等の利益が享受でくないことがあるということです。これはむしろ行政が考えなければならないことなのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月30日 (水)

19.家を建てる 地鎮祭と上棟式

 土地が決まり、家の設計図も出来て、いよいよ家を建てるところまできたとしましょう。施工業者が地元であればとうぜん地鎮祭をすることになります。地鎮祭は今では神道を介しての建築上の習慣になっていますが、ビルの谷間の空き地でするのとは違い、初めて新しい土地に人の手が入るのですから、本人の宗教の如何にかかわらず、自然と向き合う第一歩として敬虔な気持ちで神道の観念にある「土地の神」に祈りをささげることは大切です。それに大工さんにとっては、施工中に事故が起きないことをこの地鎮祭で祈るからです。おそらく寺院を建てるときでも、お寺の住職は大工さんのてまえ神道形式で地鎮祭をやるのではないかしら。

地鎮祭など経験したことのない人がほとんどでしょうから、すべて大工の棟梁に相談すればいいのです。神主、施工関係者数人、もしその土地に縁のある人がいればその人、それに施主。それだけでいいのです。しかも現場にシートでも敷いて簡単な飲食をすればそれでよし。集落の人たち一般は、ここではまったく無関係ということです。

一方、上棟式はやや華やいだ儀式ということになりましょうか。大工さんに「これからもよろしく」という気持ちをこめてする儀式です。進行手順は棟梁に任せ、施主は飲食で接待し、なにがしかの引き出物なり金1封なりを施工業者の人数分用意します。親類縁者を招いてもよく、特定の集落に属することになるのであれば、そこの長にあたる人を招待することは肝要でしょう。

集落から離れた土地であれば目立たないので、簡素にしかも最低限の形式に則って済ますことができますが、あなたの土地が集落に近いのであれば、餅まきを期待していつとはなしに集落の老若男女が集まって来ます。初めてムラへ入るいわばあなたの「お披露目」ですから、男(?)をあげるつもりで棟梁との相談づくで威勢良くやってみるのもいいでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月22日 (火)

18.住まいを考える 我が家の場合

 私の経験をお話しいたします。私が建築家に提示した住宅イメージは次のようなものでした。(1)自然にとけ込んだ簡素なもの、(2)生活と労働、野外と屋内の統一、(3)地場の建築材を使う。新建材やアルミなどは使わない、(4)薪を燃料に活用、(5)外界とのコミュニケーションとして土間を重視、(6)台所がいちばん大切なところ、(7)風が南北に流れること。

 さいわい、建築家が私の十年来の友人で私の生活観を熟知していたので、まずまずの家はできました。後で不満が残った部分もありましたが、それは建築家のせいというより私自身が相手に伝えきれていなかったことと、自ら反省することにしています。

 建築家は本来、医者が患者を診るときに問診をすることから始めるのと同じく、施主に問い掛けることから始めなければなりません。もちろん建築資金や家の広さへの希望を聞くのは当然として、この土地での住まい方、1日の行動の流れ、肉体生理、親子関係など、それは多岐にわたるはずです。逆に言えば、施主であるあなたは、建築家に自分の要望を文章で記す必要があります。箇条書きでいいのです。前後矛盾したことを書いても構いません。性格はものぐさか几帳面か、寒さに弱いか暑さにどうか、来客は多い方か静かにしているのを好む方か、動物は好きか植物はどうか、虫はダメか・・・などなど何でも良いのです。色の好みや趣味でさえ。建築家はそこから施主の生活観の全体像をおぼろげながらでもつかみとり、建築に生かすことになります。家は豪華である必要はなく、大きい小さいでもなく、世界に一つしかないあなた達の身の丈にあったものであればいいのです。それが住まいというものではないでしょうか。

 ところで、「あなたの生活観は?」と問われて、即座に答えられる人は何人いるでしょう。田舎暮らしへの志向は定まっても、さてそこでの生活スタイルは?となると定かでなくなるものです。言い換えれば、私たちは「自分とは何か」を自らに問い掛けることが不得手だということです。せっかくの田舎暮らし、せっかくの自前の家。この際です、「自分とは何か」「われわれ夫婦とは」を問い直してみるのもいいのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月 3日 (木)

17.住まいを考える 家の建て方

 いわゆる農家建築は「田の字」形がオーソドックスだとしても、新しく建てる住まいに住み手の夢や個性を取り入れたいと思うのは当然です。平面図に間取りを描くのは楽しいので、いざ家を建てることが決まると、誰もがその作業にとりかかるようです。そしてそれが済むと、然るべき工務店に相談に行きます。工務店はこんにちの常でいろいろカタログを出し、壁、床、ドアなど、施主の好みを聞きます。そこで出来上がった家は、日本髪にイヤリング、ドレスに袴のスタイルといったものになりかねません。加えて考えねばならないことに、健康に悪い合成化学接着剤をふんだんにつかった見てくれだけよい新建材が大量に使われることになりかねないということです。

差し出がましい注文ですが、どんな小さな家であれ、また古い農家のリフォームであれ、私は建築家を介在させることをお勧めします。確かに建築家に支払う設計料は建築費の1割が相場ですが、それをケチってはいけません。否、工務店に直に発注しても、その1割などすぐに別なところで消耗されてしまいます。そして、「工務店は地元で、建築家はその土地と縁のない人に」というのが原則です。設計料の中には施工管理も含まれているので、地元と縁のない人のほうが、仕様書どおりに工事がなされているかどうか厳しくチェックできるからです。逆に施工を地元の業者にやらせるのは、住み始めて後になにか不具合が生じたときにすぐに来てくれるし、土地の人ゆえに逃げ隠れできないので、悪質な手抜き工事も避けられるからです。

それに、私たちは素人の悲しさで平面のイメージはできますが、立体構成は不得手です。また、昔の大工も施主も目が肥えていましたから、任せておいても伝統にのっとったしっかりした建物を建てることができましたが、いまの工務店に住まいに対する確固たる思想も、伝統を重んじる技術もありません。それらしき外観の継ぎ合わさった似て非なるものしか出来ないのです。

では、その建築家なるものとどうつきあったら(つまり、建築家を使いこなしたら)よいのでしょうか。そこで初めて田舎暮らし構想の真価が問われることになります

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月25日 (火)

16.住まいを考える マイクロバスの家

ビニールハウスの住居が奇想天外なら、もうひとつ愉快な発想で土地に根を生やした人をご紹介します。

私の住む町はハンググライダーやパラグライダーが盛んなところです。そのハンググライダーのインストラクターをしている独身のYさんが、おそらく地目は宅地ではなく畑と思いますが、そこに廃車直前の大型マイクロバスを持ち込み、住居にしたのです。バスをタイヤを付けたままジャッキで持ち上げて固定し、内部は乗客用の椅子を倒せばベッドになる長椅子に取り替え、車体の後ろ半分にパソコンを置くデスクと寝室までつくりました。電気を引き、井戸を掘り、トイレと台所は車外に別建てとしました。

バスの屋根には断熱効果も兼ねて荷物置き場を設け、夏冬の暑さ寒さはその都度エンジンをかければクーラー、ヒーターが作動してオーケーというわけです。

地目を変える手続きで手間取ることもなく、固定資産税もとられず、Yさんに言わせれば「ジャッキをはずせば、いつでも夜逃げができる」といういかにも身軽な生活スタイルです。向かい合わせのベッド兼用の長椅子は、ハングの仲間達の会議に使われることも多く、住居というよりは小会議室といった感じです。

住み始めた当初はグリーンのボディがあざやかで、幼稚園に置いてもいいような可愛らしさがありましたが、すでに十数年が経つと錆びも目立ち、みるからにみすぼらしくなってきました(ペンキを2年ごとに塗れば鉄部のもちも良かったでしょうに)。

それというのも、アイディア豊富なYさんは、このバスを拠点にして、隣り合わせに鉄骨のガレージ兼ハング・スタッフの宿泊施設を、そして少し離れたところにログハウス調の洒落た喫茶ルームを建てたからでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月18日 (火)

15.住まいを考える ビニールハウスからの出発

住まいつまり住宅は、人によりそれぞれ好みが違いますから、他人がとやかく言うべきことではありません。ただ、折角新しい土地が見つかり、次なる行動として新しい家を建てる(あるいは気に入った空き家を借りる)わけですから、まずは柔軟な発想で事に当たってほしいものです。

こんな発想もあったのかと思われるものをいくつかご紹介します。

山の斜面をうまく利用して畑をつくり、ヤギや鶏を飼い、ふもとの田んぼを借りて米も作って自給自足の暮らしを実践している30代前半の夫婦。今では子供も2人できてとても幸せそう。しかし、その出発はビニールハウスからでした。資金ゼロから百姓暮らしを始めるというので、それならこれしかないと私が提案し、本人もその気になったものです。

 私のところにあった使いふるしの間口が3間ものと2・5間ものの ハウスパイプを提供し、間口3間長さ8メートルほどのハウスの中にさらに間口2・5間長さ5メートルのハウスをつくり 、その小さな方のハウスに床をあげて古畳を敷き、これまた古い障子で周囲の目隠しとし、生まれたばかりの子供をまじえた3人の住居にしたのです。内外2棟を覆うビニールシートの値段は5万円まではしなかったでしょう。

夏の暑さと冬の寒さをうまくかわすために天井にはブルーシートで日陰をつくり、側面のビニールを開け閉めすることでハウス内の温度を調節していました。 内側ハウスと外側ハウスの間のスペースは台所やその他必要な生活用具の置き場になっています。

当面雨露をしのぐ住まいができれば、あとはゆっくり時間をかけて本宅作りです。本宅といっても彼らはすべて建築廃材を集めて自分で建てる計画ですから、もうひとつ資材置き場用のハウスを建て、仲間の手も借りて、文字どおり基礎からゆっくり作っていました。

最初は風呂場、次に手伝ってくれる仲間が泊まってもいいゲストルームのようなワンフロアーの建物、最後にそれと隣接させて本宅作りと、その出来ばえはお見事でした。

これも人家から隔絶した山の中だから可能だったことなのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 7日 (金)

14.村人になりたい人へ

私がそうでしたが、ムラ人の一員になることを田舎暮らしのイメージにすえて土地探しをする場合を考えてみましょう。

景色といい家々のたたずまいといい、こんなところに住めればいいなと思える候補地があったとします。そこで、積極的こそ良しとばかりに役場の住民課の窓口や農業委員会に顔を出して「適当な空き家はありませんか」「売ってくれる土地はないでしょうか」と尋ねるのは、確かにツボを得たやり方のように思われますが、それはヤボというものです。快く相談に応じてはくれますが、素性のわからない人を土地の人に紹介することなどまずあり得ないと考えた方がよいからです。

畑で、あるいは農家の庭先で仕事をしている人に、仕事のじゃまにならない程度に、目の前にある作物やその土地のことなど質問してみてはいかがでしょう。喜んでいろいろ教えてくれるはずです。そのような機会が多ければ多いほどいい。なぜなら、まったく別の日に同じ道を通り、同じ人に出会う確立がそれだけ高いからです。

「この前の人だね。また来たのかい」「ええ、この町がとっても好きだから」「どうだね、お茶でもやっていきなせえ」

こんな会話が想像されます。農家の縁側でお茶をご馳走になりながら、農家の仕事の苦労話やその土地の良いところ、古い歴史などをたくさん聞いてみてください。会話の中からあなたがその農家の人に好感がもてるようでしたら、これから穫れるその人のお米や野菜を宅配便で注文してはどうでしょう。きっと喜ばれると思います。それこそ「顔の見える関係」であり、住むところは離れてはいても毎日同じお米を食べるのです。これぞ正しく親類づきというものです。そこで初めて「私たちもあなたの町に住みたい!」と、熱き心のうちを告げるのです。まるで「何か」と似ている進行です。

「頼まれてその人のために世話をする」ことを、農家の人は厭いません。むしろ、「自分が相談を受けた」ことを嬉しく、また大切に思うものです。自分に土地を世話する力がなければ、同じ集落の有運良く土地なり空き家なりが、その人のお陰で見つかったとしましょう。その時は、じつはあなたが移住してくる前に、すでにあなたのためにその集落に入る道が敷かれているはずです力者を紹介してくれるはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月30日 (金)

13.地下にも注意

新しく始める田舎暮らしがアパート住まいであるという人はまずいないでしょう。本格的な農業を志向するにしろ家庭菜園を楽しむにしろ、自分の畑で穫れた作物で生活したいと考えるのがふつうです。つまり家屋の周りに一定の広さの土地があることが条件となります。

しかし、条件はそれだけではありません。地形なり方角なり日照の有無なりは見ればわかることですが、問題は土地の、つまり土壌の性質です。大根や人参などの根菜類は軽い土質が適していますし、玉ねぎなどはどちらかと言えば粘土質の重い土質を好みます。

20年ほど前になりますが、私の知人の若夫婦が農業で生活しようと30アールほどの雑地を購入しました。集落の位置や地形が申し分なかったので、その土地を得たときには将来への希望が開けそれは喜んでいました。ところが、トラクターを買って耕耘してみてわかったのですが、土地全体が粘土性の壁土だったのです。やむなくその場所はブドウ畑にし、野菜畑は家から離れたところに数カ所、別に借りざるをえませんでした。

私の家からさほど離れていないところに数年前に不動産屋から土地を購入して住まわれた人がいます。家庭菜園のほうはそこそこうまくいっているのですが、井戸水にお茶を入れると、その澄んだ水がたちまち紫色に変色するのです。お茶のタンニンと鉄分が反応したことによるもののようです。売った不動産屋は土地造成にあたって産業廃棄物らしきものを埋めたためだということがあとでわかりました。

つまり土地を選ぶときは、地上だけを見ずに足下深くにも思いを馳せる必要があるということです。地面に直接柱を立てるときに使う掘穴り器という便利な道具があります。柱の太さ分の土をつまみ出し丸い穴が深く掘れるのです。この道具で深さ50cmほど穴を掘れば、その土質はほぼわかりますし、異物が埋められているかどかもおよその見当はつくものです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月21日 (水)

12.私の土地探し(失敗談)

「都会を捨てて田園生活をするんだ」との勇んだ心は、ともすれば生活イメージにバランスを欠き、ある部分だけを強く意識してしまうことになりかねません。私の目的は、子供を自然の中で育てる、ムラに入り集落の人と付き合う、自給的な百姓暮らしをする、というものでした。

土地探しは、五万分の一の地図を見ながら、小学校の位置、畜舎や果樹園から離れている、南斜面などを目安に等高線が比較的ゆるやかな山林に白羽の矢を立てたのです。現地に立って私は、その景観のすばらしさに感動し、すぐに地主との交渉に入りました。

しかし、この選択方法にすでに思い上がりがあったのです。つまり、これからする生活の舞台を鳥の目で見ていたということです。生活の目線はやはり虫の目でなければなりません。日常の車での坂の上り下り、畑の面積、水はどうか等々、実際に生活をしてみてその不経済性をいやというほど味わうことになりました。水は、敷地のいちばん低いところに手掘りの井戸を掘り、そこからポンプで二つの水槽に中継するというありさまです。それに、斜面を平らにするということは法面がたくさんできることであり、2000坪の土地も、くの字につけた道路と法面が全面積の半分を占めることになりました。

車のタイヤの減り具合もばかになりませんし、畑の作業もそのつど坂の上り下りです。地元の人が住まないわけがわかります。

数年前ですが、私のところが南斜面なら、同じ山の西斜面中腹に陶芸をやる知人が新しく家を建てました。「かなり安く買えたので」というその土地から見る景色はそれはすばらしいの一言ですが、工事を始めてみて大変なことが起こりました。雨が降ると土砂が急斜面を下って低地の田んぼに流れ込むのです。つまり、土砂の流亡をいかに防ぐかでのコンクリート工事に大変な費用がかかったのです。おそらく「安かった土地」も平地の価格以上になったのではないでしょうか。どうしても山間に家を建てたいときは、「土を動かさないこと」を前提に考えるべきと思うのです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月14日 (水)

11.山の中で暮らす人々

人里離れたところに土地を求める人は、自然に囲まれた環境と人づき合いは最小限に、との考えをお持ちだからだと思います。

私の町にも数世帯がそうしたところに土地を求めて豊かな暮らしをしています。しかもその人たちは、すべて自給自足てきな生活をし、住まいも自分で建てているのです。周囲が林に囲まれていて、そこだけがぽっかり日溜まりになっているようなところで、いずれの家も幼児が2~3人いて、元気に飛び回っています。

そこでの夫婦の生活イメージは、子供を自然の中で健康な感性の人間に育てるというものです。ですからテレビはありません。本を与えています。それで充足感は得られるのでしょう。奥さんたちのものごとにこだわらないゆったりとした雰囲気がとてもいい。

これとは別な例として、「こんなところには絶対に家は建たない」という環境に現に家を建てた人のこと。芸術家肌の50代と40代のご夫婦です。日の光が日中のわずかな時間しかあたらない山麓の窪地の斜面、すぐ横に沢水が滔々と流れている土地に、これも自分で通常の住宅の常識を破った家を建てました。それもこの湿気の多いところだというのに屋根に土まで載せて。石を組み、豊富な薪で床暖房というわけです。沢の水をわざわざ自分の玄関の前に引き込む徹底さです。実はここのご主人は造園家で、自然の植物を使って、家のまわりに一大自然庭園を造ったのです。われわれの間では「町の奥座敷」として珍客が来るとそこで一杯やります。また専門雑誌のグラビアを飾ってもいます。

家が出来てくる過程をこの目で見てはきたものの、私にはそこでの生活がどうなるものかまったく想像だにできませんでした。脱帽というほかありません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年6月 7日 (水)

10.暮らしのイメージに合った土地を探そう

最近のことですが、栃木県に住む中年にさしかかったご夫婦から土地のことで相談をうけました。茨城県のここ八郷町に600坪ほどの土地(地目は山林)を不動産屋から買ったが、1年ほどして来てみたら、隣地に産業廃棄物が捨てられていることに気づいたとのこと。近隣のムラの人に相談したり、役場と交渉したり、捨てた当人に会って撤去を要求しているがラチがあかない、どうしたらいいかというのです。15年ほど前に、産業廃棄物不法投棄の反対運動をしていた経験を買われたものと思います。

実際に見ないことにはと、現地に案内してもらいました。集落からやや離れて車の轍が草の中にかすかに見える農道をしばらく行ったところにその土地はありました。ゆるやかなスロープのクヌギ林で、ログハウスでも建てれば田舎暮らしの雑誌にすぐにでも取り上げられそうな雰囲気を漂わせています。

ただ、私が気になったことは、隣地の廃棄物もさることながら、人家から離れすぎてはいまいかということです。「新天地での生活にやる気満々」は私も大賛成です。マイナス指向よりプラス指向の方がこういう場合は良いに決まっています。しかし、長い人生を考えたとき、どうでしょうか。このご夫婦にはお子さんがいません。将来にわたって夫婦喧嘩がないとは保証できませんし、女性の場合は更年期障害で精神的に不安定になることも考えられます。そんな時の奥さんの孤独感に、この土地の環境が良い方向に作用するとは思われません。

私の結論は、廃棄物撤去に労力を割くよりは、売った不動産屋に面積はともかく、同額の別の土地をその責任において斡旋してもらうこと、その際は人家の灯があまり遠くなく視界に入ることを条件にすること。

田舎暮らしで土地を選ぶとき、横軸のほかに縦軸にもイメージをふくらませてみることをお勧めします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 1日 (木)

9.土地探しを始める

バブルの頃までは都会の中堅大手の不動産業が地方に戸建ての住宅団地を造って入居者を募集していましたが、最近では私の町でも「田舎暮らしのための不動産屋」などという看板が目につくように、その土地の不動産屋さんが都会からの移住者に狙いを定めて、小さな物件をコツコツ売っているようです。つまり、農村も「よそ者は入れない」といった時代ではなくなってきているのです。

そして便利なことに、田舎暮らしの専門雑誌には、全国にまたがって魅力的な土地家屋の売り広告が写真入りで紹介されていますから、私が土地探しをしていた20数年前とはその情報量は雲泥の差があります。ただ、その写真はその物件の部分写真ですから周囲の状況はわかりません。現場を見て膨らんでいた夢がしぼんでしまうこともあるのではないでしょうか。

土地の売買ができるのは宅地、山林、雑地で、果樹園を含む農地は農地法で厳しく規制され、農業者と見なされる人以外の場合は売買が禁止されています。草や木が生えていて自然のままだし眺めもいい。ここに住めたならと思って地目を調べたところ、耕作放棄している農地だったということがよくあります。農地を宅地に転用することは出来ますが、その土地の行政区の農地委員会の許可あってのことで、仮に許可されることがあったとしても、半年はその手続きや依頼(根回し)に時間がかかります。

しかも周辺の土地所有者の同意も得なければなりません。知らない土地でそこまでするのは大変です。そこに不動産仲介業者が存在する意味があるのですが、それにしてもまずは、田舎暮らしに対してのあなたの、またあなたが家族持ちなら最低夫婦共通のイメージをはっきりさせておく必要があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月22日 (月)

8.鳥の目で眺めてみよう

これまでは生活する当人の側に立って発想の転換(つまり、あれこれ脱出の理屈)を並べてきました。しかし、近代の日本が百有余年というもの農村から多くの若者を都会に引き寄せたように、都市生活という引力がそうとうなものであることは確かです。したがって最後は、鳥になって空から都市を眺め、自分だけの文明史的評価をそこに下すことです。実際そうなるかどうかはともかく、日本の近未来の姿を自分流に描くのです。

一例として、私が描く近未来の社会は以下のようなものです。

都市に乱立する高層ビルは、1日の半分にも満たない時間しか使われていないのに、ビルの取得や維持管理に莫大な金がかかっている。そのビルがあるために毎日たくさんの勤労者が交通費とエネルギーをかけて通勤している。しかしビルの中には製造部門はなく、あるのは営業マンや事務員の机と会議室、書類倉庫程度。ビルは単なる入れ物だったのだ。情報機器が進歩した現在、都心に企業専用の情報処理センターと会議室を設けさえすればよい。打ち合わせや連絡は適宜それを利用する。企業の負担で各社員の家に個室を一つ作り、通常は自宅で仕事を処理。自宅から直接営業に回る。かつての往復の通勤時間は自家菜園の仕事に充てる。ストレスが溜まらず快調。こうした企業形態の大転換で都市郊外に土地を求める企業が増える。地価が上がる。その前に自分は土地を求め田舎暮らし・・・。

荒唐無稽かどうかはともかく、私は自分流に都市文明の解体を夢見るのです。周りからおめでたいと言われようとどうしようと、自分こそ時代の最先端を構想しているのだと思うと、不思議なことに耳にする他人の雑音などは気にならなくなります。うでしょう、人それぞれ自分流の鳥の目をもって天下を睥睨し、都市生活を相対化してみては。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月16日 (火)

7.移住してからの暮らし方

勤労者の休日数が少なくとも権利としてはどれだけあるのかが判明したいま、発想の軸足をややずらしてみましょう。つまりほのかに描いていた田舎暮らしという住まいの環境を今のうちに確保しておき、10年ないし15年をその場所からがむしゃらに職場まで通うのです。休日を除いた225日プラスアルファをです。「それでは体がもたない」とお思いの方は週に1日3000円のカプセルホテルにでも泊まればいかが。長距離通勤はかえって電車の座席を確保できますから、毎日の決まったその時間を読書なり睡眠なり語学の勉強なりにと有効に使えばいいでしょう。

 あるデータによると、東京に職場のある勤労者の平均通勤時間は1時間を優に超えているようです。しかもその間の満員電車でのエネルギ消耗度は8時間労働の3分の1近くにもなるそうです。それが本当だとしたら、日本の産業全体がすごく効率の悪いなか動いていると言わざるを得ません。

子供を山野のある空気の澄んだ環境の下でのびのびと育てる。本人も週末に土に親しんで職場ですり減らした神経をリフレッシュさせる。通勤帰りにネオン街のバーや赤提灯で同僚と仕事のクチを言い合っているよりどれだけ健康的かつ経済的であることか。

私の経験では、当然ながらそのうちに会社に出るよりも家で土をいじっていたほうがよくなるものです。つまり10年先の計画目標が思わぬところで早まるのです。この文章の筆者にまんまと乗せられた結果になったとしても、おそらくその時のあなたは後悔はしていないはずです。それほど田舎暮らしは、自分自身を取り戻し、自分という存在感を際だたせるものなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年5月 9日 (火)

6.移住してしまおう

その発想の大転換とは。断固移住を敢行して、そこから会社まで通いとおすことです。たとえば、長野県から東京へはさすがに無理としても、栃木県や山梨県の農村部から東京へ、関西なら京都や奈良の山間の村から大阪へと。

私の家は地図の上では東京から80キロ圏ですが、実際の通勤は車で30分の石岡駅から常磐線に乗り1時間35分で上野、さらに山手線と地下鉄を乗り継いで職場へ2年間の通勤。一方妻は、同じコースで常磐線の亀有駅まで、さらに自転車を10分こいで公立小学校へ。妻の場合、2時間余をかけて16年間通ったことになります。

でもこれは体力にものをいわせてがむしゃらに押し通したことをご報告したまでで、なにも発想の大転換と銘打つほどのことではありません。

今年のカレンダーを開いてみましょう。中高年の予想休日を算出してみましょう。年末年始および祝祭日、週休2日制を一応条件に入れるとして土曜と日曜休日、このすべてを数えるとサラリーマンが本来堂々と休みをとることができる日数は120日になります。さらに勤続年数によっては有給休暇が最大20日加わります。この合計は140日ですから、年365日の半分近くが実は「額面上」勤労者の休む権利としてあるわけです。

こんにち、企業間の競争は熾烈をきわめているようですし、労働運動も衰退しているので、勤労者はサービス残業やリストラなど経営者の思いのままの状況下に置かれています。ですから上記の休日をそのまま手にすることは困難としても、会社におもねることなく、敢然と自己の権利を主張すれば手にできないものでもないということだけはご理解ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 4日 (木)

5.都会から脱出するには

都会はどこへ行くにも何をするにも木戸銭を払うような仕組みになっているので、お金がないと不安です。では農村はどうでしょうか。外から見ていると羨ましいかぎりです。どこの家にも畑はありますし、ローンを払ったりしなくていい親から受け継いだ広い家屋もあります。夫婦のどちらかが勤め人ならさぞやお金がたまることでしょう。

ところがどうして、土地の人は何代も前からの地縁血縁をたくさん抱えているので、月に何件もある冠婚葬祭の出費がばかにならないのです。お盆のときは新盆周り。そうした人たちの車が家々の前に停まっている光景をよく目にします。「なんのことはねえ、付き合いのために金を稼いでいるようなもんだわさ」と、農家の人は苦笑します。新生活運動が叫ばれて久しいのに、一向に改善されないばかりか、最近では七五三などの祝い事もホテルを借りてやるようです。

しかし、都会から移り住んだ人にとっての「強味」はそうした縁者が少ないことです。もちろんご近所とのおつき合いは大切ですが、お金のかからない慎ましい生活を徹底させようと思えば出来る条件にあるわけで、出費の少ない暮らしを作り出す工夫を楽しむことも、田舎暮らしの一つの魅力です。

そうは言っても光熱費や教育費、ガソリン代などの基本的な出費はとうぜんあります。土地を借りれば安いとはいえ地代は払わなければなりません。空き家が見つかればいいですが、家を新築でもすれば蓄えのお金も底をつくことでしょう。なかなか踏ん切りがつかないゆえんです。都会生活という引力圏は、そこが稼ぎの場であることを思うにつけ強力で、「定年」の二文字への妥協と圏外に脱出することの困難さを感じさせます。

引力圏からの脱出には発想の大転換と、あなたが鳥になって都会を空から眺めてみることです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月25日 (火)

4.定年は自分で決める

田舎暮らしで百姓の真似事でもしようと思って家庭菜園を始めたとします。でもテーマ1で触れたように、サラリーマンのときと使う筋肉がまるで違うことに気づくのにそう時間はかかりません。私の場合、40代で百姓を始めたときと60代の今とでは、いくら熟達したといっても、動作や体力は当時の3分の2以下のように感じられます。

土を耕すのは楽しいし、田んぼに入るのはもっと楽しい。自分で掘っ建て小屋のひとつも作れば、大工になった気分で家人にも自分の実力のほどを自慢できる。そんな楽しいことがいっぱい待っているのに、なんで体力がなくなってから田舎暮らしに踏み切るのでしょう。人生にとってこんなにもったいないことはありません。

ニンジンを鼻先にぶらさげられて走る馬のように、定年に向かって体力がすりへるまで給料を追い求めることなどせず、自分で自分の定年制をしけばいいのではないでしょうか。田舎暮らしは早いにこしたことはないからです。

もちろん、自分の定年を10年早めたとすると、「子供はまだ大学生を頭に・・・」という家庭の事情がすぐに目に浮かびます。事実そのような年齢で一家をあげて私の町に移り住んだ人もいます。その家族は「掘っ建て小屋を建てて自慢する」ほどのんびりした気分で生活しているのではなく、農作物でまっとうな収入を得ています。つまり、その人の場合は「田舎」という環境を選んだというより「百姓」という生き方を選んだことになります。

いずれこの家族について触れる機会があるとは思いますが、私のこの小文のテーマは「田舎暮らし」ですから、百姓としての生き方を求めるものではありません。では、年齢と経済─この相反する二つをどう折り合いつければいいのでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年4月20日 (木)

3.自分流を貫く

手が道具だとつくづく感じたことから逆にわかったことは、昔の農家の労働がいかにきついものだったかということです。スーパーに買い物にきている年輩の婦人や毎朝田畑の見回りをしている近所のご隠居さんなど、その歩き方はどこかアヒルのよう。背筋は真っ直ぐなのですが、腰のところでいくぶん前かがみになっているので、歩くときはどうしも腰が振れるのです。これは長年の労働の結果です。こういう歩き方は都会のお年寄りには見られません。

私が鍬を持つようになったとき、農家出身の友人がよく言ったものです。「自分は昔さんざんやったから、もうあんな労働はこりごりだ。君はなにも知らないから簡単に百姓になれるんだよ」と。まったくそのとおりです。昔は「一人前の男」というとき、それは60kgの米俵を担げた人を言いました。いま、米俵1俵を担げるひとは農家を含め何人いるでしょうか。

ですから、そこは昔の人と張り合うほどに力まなくていいのです。トラクターや管理機(畑作業で畝の間の草をうないこむ機械=中耕除草機)などがあるので、それを使えばいいでしょう。農家出身の人のようなトラウマがないことを善しと、自分流を貫くことです。

真夏は日差しが強いので日中は農家の人でも外には出ません。昼寝の時間に充てます。働くのは早朝5時頃から午前中10時くらいまで。午後は3時頃から6時過ぎまで。汗で下着を2回は取り替えます。さいわい腹の肉がたるむ余裕がありません。なんと健康的な暮らしでしょう。それに引き換え都会人の生活は──。わざわざスポーツ施設で自転車漕ぎをしたり、バーベル挙げたりジョギングしたり・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2.米作りの効能

 私は現在67歳です。23年も百姓暮らしをしていると加齢からくる腰の痛みはありますが、かつて若い頃に経験したなんとも不快な腰痛には悩まされずにすんでいます。野球のボールをオーバースローで遠投することは最早できません。しかし堆肥の切り返し作業を1時間みっちりやっても息切れせずにできる自信はあります。

 一般の農家では、米つくり一つとっても作業はすべて大型機械でこなし(近頃は畦塗りも機械がしてくれます)、除草剤を使うので草取りもしないで済むので、直に田に足を入れていることはめったにありません。私はトラクターこそ使いますが、除草剤は使わないので田の草取りは手押し除草器を押すか這いつくばって素手でしています。長靴や足袋で入るより素足の方が作業がはかどりますし、また気持ちがいい。もっぱら足指の間のぬるぬる感を味わっています。

 そこで気づいたことは、学生時代からわが肉体の一部分であった足の水虫が、この田んぼ作業をすることで完治に近い状態になったということです。昔からの言い伝えで、「フグの毒に当たったら、首だけ出して土に埋めろ」というのがあります。これはどうも迷信でしょうが、「土にはそれほどの殺菌力がある」と解せないこともありません。そうです。殺菌力があるのです。それだかに水虫が治ったのです。

 ところで、私は手が道具だということを農作業を通じて初めて知りました。手足の代わりをするのが道具ですからこの認識はどこか矛盾していますが、事実そんな感じを抱いています。田の除草作業でイネとヒエを指先だけで区別できるのも、稲の収穫で稲束を指でギュッと縛るのも、豚の背をさわって脂のつき具合を感じるのも手の為せる技。農民の手が無骨で指の爪が厚く大きいのも、長年にわたって手を道具の一部として使ってきたことによるのです。農民の勲章と言っていいものです。ふと自分の手を見て、恥じ入るのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

1.農作業で体を鍛える

私は28歳から44歳まで東京でサラリーマン生活を送っていました。バス、私鉄、国鉄(今のJR)、地下鉄と交通機関を乗り継いでの1時間15分の通勤です。都心の地下通路を大股早足で通勤者の群れを追い抜いたり、駅の階段を2段ずつ駆け上がるなど、若さゆえにこうした通勤を辛いとは思っていませんでした。満員電車もむしろ立ってまどろむには都合がよかったくらいです。

そんな私でしたが38歳になったある日、三つになる息子を抱き上げたはずみに腰痛におそわれたのです。椎間板ヘルニアではなく腹筋と背筋の弱さが腰に負担となって筋肉痛をおこしたもののようです。それからというもの、じわじわした腰の痛みは治ることなく立ちどおしの通勤はまさに苦痛の一字、前の席が空こうものなら地獄に仏の心境でした。鍼灸、マッサージ、東大の物療内科、カイロプラクティックなどいろいろ試してみましたがいっこうに良くなりません。比較的効果があったのは水泳でした。

当時、つまり1970年代から80年代は消費者運動が盛んだった頃で、私も安全な農作物を求めてしばしば農家に援農に出かけたことがありました。農作業を終えての帰りは、それこそ足のすねが痛くて駅の階段を上るのに苦労したものでした。

それがどうでしょう、百姓暮らしを始めてからというもの、いつの間にか痛みを意識しなくなりました。もちろん足のすねが痛くなるなどどいう不名誉な現象に見舞われたこともありません。スポーツやビジネス労働と農作業とでは明らかに肉体の筋肉の使われ方が違うということです。腰痛と痔が直立歩行を獲得した人類(ヒト科)の宿命だとしても、これまた人類の本来の労働、つまり農作業のような腰を支点とした労働は、腰の筋肉を強くするだけでなく、腰を動かすことで筋肉が熱を帯び血行がよくなり腰痛と無縁のからだができるのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

その他のカテゴリー

田舎暮らし