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2007年1月11日 (木)

29.米つくりを考える

田舎に住まいを移したその地域が、稲作地帯なのか畑作地帯なのか、あるいはそれら田畑と縁遠い山の中なのかで、生活に取り入れる農的暮らしのスタイルは自ずと異なります。そのことを重々承知の上で、でも日本人と米は切っても切れない関係にあるので、ここでは敢えて米つくりに一文を割くことにいたします。

こんにちの日本は米はあり余っているし、お金を出せばスーパーでもどこでも手に入ります。それなのになぜわざわざ米をつくるのか。この問いに合理的な回答は出せないのですが、晩秋のある日、籾すりが終わって玄米が入った茶色の30キロ袋が、かりにそれが1袋であっても、ドサッと足もとに置かれたときの感慨は、一種独特のものがあります。

米はその字のごとく昔は八十八も手間をかけてつくるものと言われていましたが、今は機械がその多くを引き受けてくれるので、素人でもそこそこにつくることができます。慣行農法でする米つくりは田植えから収穫まで、途中の薬剤散布をもすべて機械でしているので、一時期を除き、田んぼの中に人間を見ることはほとんどありません。そうして穫れた米の袋を前にしたとき、果たしてその感慨はどのようなものでしょうか。

長いサラリーマン生活で米つくりはズブの素人なのに、移り住んだ1年目から田んぼを借りて自前の米を食べている家族を、私は身近に数組知っています。それらの人の耕作する姿を思い浮かべながら、もちろん私自身の経験もまじえて、米つくりの概要を述べることにいたします。

50代以上の人ならば、おそらく誰もが幼少期に泥んこ遊びや水遊びをした経験があるはずです。米作りはどうもそうした遊びに通じるところがあり、遠い昔に置き忘れてきた遊び心を呼び覚ます作用をもっているのかもしれません。

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