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2006年9月21日 (木)

22.薪を活用しよう

日本の家屋は昔から「夏を旨とすべし」として作られていました。つまり、夏の暑さと湿度を考えてのことでしょう。しかも欧米とは違い、日本の家屋は本来カギなどはかけない開放的な造りでしたから。ただし、地域によっては冬の寒さは厳しいもので、それは年輩者にとっては身にしみて感じるところです。

風呂の燃料もそうですが、すべてを中近東産石油に頼るのではなく、せっかくの田舎暮らしですからこの際はその土地で手に入る薪を活用することを考えてみてはいかがでしょう。薪と灯油ではその温かさの感触がまるで違います。なお、風呂炊き用や給湯用に薪と灯油の併用式があり、これはなかなか便利です。

庭の隅に薪小屋を造るなり、家の外壁に薪を積み上げるなどして、夏のうちに薪を確保するのですが、さて薪はどこで手に入れればいいかとなると考えてしまいます。それを自分でするのもとりわけ年輩者には重労働に感じるでしょう。

薪になるものにはいろいろあります。家を建てた大工さんに頼んで施工の際に出る柱や板の木っ端をもらうのもよし、製材所から出る通称バタという丸太の皮付き切れ端、果樹園から出る剪定枝や幹、近くの山の間伐材なども入所可能です。ムラの人にそれとなく相談していると、けっこう声がかかるものです。薪の大きさにそろえるのにはそれなりの労力が要りますから、体力に自信がなければお金を払って薪つくりを頼むことも可能です。

薪ストーブは北欧製の数十万するものからトタン製の5000円ほどのものまであります。ホームセンターに行けば日本製の鋳物の立派な薪ストーブが5万円ほどで買えます。私は農協から100リッターのドラム缶をもらい、鉄工所で自分の設計どおりに2万円で造らせました。私はほかに掘り炬燵を囲炉裏に作り替え、炭の火も楽しんでいます。障子一枚あるだけでも部屋はじゅうぶんに温かいことがわかりました。

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2006年9月12日 (火)

21.新米村人の心得

新しい居住者に対してムラの人はどう見ているでしょうか。なにしろ素性の知れない新しい居住者なのですから、家の工事が始まってこのかた、あなたのことはその都度茶飲み話に上っているはずです。「ご近所への手拭いひとつもっての挨拶まわり」は当然としても、その後でさえあなたは集落内では格好の「話題の人」なのです。ですから、日頃ムラの人たちに「見られている存在」と覚悟を決め込み、泰然と構えている風でなければいけません。

私の家は山の中にあって垣根も塀もないので、山菜採りにでも来たのかひょっこり見知らぬ人が顔を出すことがあります。しかし、そんな時に不審な眼差しで相手を見ないことにしています。こちらは相手を知らなくとも相手はこちらを熟知しているかも知れないからです。ひとわたり会話がはずんで別れてから、さて今の人はどこの誰かと、まるでわからないこともしばしば。それでいいのです。私は、かりに相手が空き巣ねらいであっても、会えばまずこちらから親しげに声をかけることにしています。

登山経験者ならお分かりのように、山道ですれ違えば必ず挨拶を交わします。同じことで、ムラの農道でかりに車同士がすれ違ったときなど、互いに頭を下げて挨拶の気持ちを表します。都会にはない習慣です。

私の妻はアパート住まいがほとんどでしたから、今でも来客があると立ったまま挨拶をしてしまうのですが、農家のご婦人は必ず頭の手拭いを取り膝を折って相手を迎えます。上がり框(かまち)に腰を掛けて話をするようなときなど、決まってお茶と菓子が出されるのですが、1枚ずつ袋に入っている煎餅でさえ、それを客に勧めるのに箸でつまんでします。そうしたムラ人のなにげない所作に私はいつも感動を覚えるのです。

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2006年9月 7日 (木)

20.「付合い」をどうするか

都会ですと地域にはそれぞれ自治会とか町内会があり、それが行政の下請け機関の役割を果たします。私の住む農村地域にもそれに類するものがありますが、どこかねじれた感じがしないでもありません。

行政としての地名の下に字(あざ)があり、それが区として扱われていて区長がいます。その区の下にいくつかの班があり、区を通して町の広報紙や回覧板などが班に下りてきます。ここまでは、名前こそ違え都会の自治会などと変わらないのですが、実はこの班は組(くみ)とか坪(つぼ)とか言われることもある何代も前からの生活共同体でもあるのです。つまり、行政の末端の機能を果たす一方での共同体。葬式は当家がするのではなくて班すなわち組が取り仕切りますし、組には子安講という婦人だけの集まりが残っているところもあります。今はなくなりましたが、農業機械が普及するまでは田植えや稲刈りなどは組内(くみうち)がお互いに助け合ってやっていました。

今、あなたがこの新しい土地に住居を構えたとして、あなたはその班に入るべきかどうか、あるいは入らせてもらえるかどうかがさしずめすぐに問題となります。

そんな煩わしいことは嫌だからと班には入らなくてもいいし、せっかくこの土地に住むのだから班に入って田舎の付き合いをしてみたいというもう一つの道を選ぶこともできます。もっとも、100年以上も同じ気の知れた仲に新しい人を入れることに抵抗を感じる班も当然あるので、逆に「無理して班に入らなくてもいいよ。道普請や空き缶拾いなどの時に参加してくれれば」とやんわり断られることもあります。

問題なのは、班に入らないと回覧板や広報紙が来ない(広報紙は郵送されるかも)とかゴミ集積所が使えないことです。一市民としての同等の利益が享受でくないことがあるということです。これはむしろ行政が考えなければならないことなのですが。

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