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2006年8月30日 (水)

19.家を建てる 地鎮祭と上棟式

 土地が決まり、家の設計図も出来て、いよいよ家を建てるところまできたとしましょう。施工業者が地元であればとうぜん地鎮祭をすることになります。地鎮祭は今では神道を介しての建築上の習慣になっていますが、ビルの谷間の空き地でするのとは違い、初めて新しい土地に人の手が入るのですから、本人の宗教の如何にかかわらず、自然と向き合う第一歩として敬虔な気持ちで神道の観念にある「土地の神」に祈りをささげることは大切です。それに大工さんにとっては、施工中に事故が起きないことをこの地鎮祭で祈るからです。おそらく寺院を建てるときでも、お寺の住職は大工さんのてまえ神道形式で地鎮祭をやるのではないかしら。

地鎮祭など経験したことのない人がほとんどでしょうから、すべて大工の棟梁に相談すればいいのです。神主、施工関係者数人、もしその土地に縁のある人がいればその人、それに施主。それだけでいいのです。しかも現場にシートでも敷いて簡単な飲食をすればそれでよし。集落の人たち一般は、ここではまったく無関係ということです。

一方、上棟式はやや華やいだ儀式ということになりましょうか。大工さんに「これからもよろしく」という気持ちをこめてする儀式です。進行手順は棟梁に任せ、施主は飲食で接待し、なにがしかの引き出物なり金1封なりを施工業者の人数分用意します。親類縁者を招いてもよく、特定の集落に属することになるのであれば、そこの長にあたる人を招待することは肝要でしょう。

集落から離れた土地であれば目立たないので、簡素にしかも最低限の形式に則って済ますことができますが、あなたの土地が集落に近いのであれば、餅まきを期待していつとはなしに集落の老若男女が集まって来ます。初めてムラへ入るいわばあなたの「お披露目」ですから、男(?)をあげるつもりで棟梁との相談づくで威勢良くやってみるのもいいでしょう。

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2006年8月22日 (火)

18.住まいを考える 我が家の場合

 私の経験をお話しいたします。私が建築家に提示した住宅イメージは次のようなものでした。(1)自然にとけ込んだ簡素なもの、(2)生活と労働、野外と屋内の統一、(3)地場の建築材を使う。新建材やアルミなどは使わない、(4)薪を燃料に活用、(5)外界とのコミュニケーションとして土間を重視、(6)台所がいちばん大切なところ、(7)風が南北に流れること。

 さいわい、建築家が私の十年来の友人で私の生活観を熟知していたので、まずまずの家はできました。後で不満が残った部分もありましたが、それは建築家のせいというより私自身が相手に伝えきれていなかったことと、自ら反省することにしています。

 建築家は本来、医者が患者を診るときに問診をすることから始めるのと同じく、施主に問い掛けることから始めなければなりません。もちろん建築資金や家の広さへの希望を聞くのは当然として、この土地での住まい方、1日の行動の流れ、肉体生理、親子関係など、それは多岐にわたるはずです。逆に言えば、施主であるあなたは、建築家に自分の要望を文章で記す必要があります。箇条書きでいいのです。前後矛盾したことを書いても構いません。性格はものぐさか几帳面か、寒さに弱いか暑さにどうか、来客は多い方か静かにしているのを好む方か、動物は好きか植物はどうか、虫はダメか・・・などなど何でも良いのです。色の好みや趣味でさえ。建築家はそこから施主の生活観の全体像をおぼろげながらでもつかみとり、建築に生かすことになります。家は豪華である必要はなく、大きい小さいでもなく、世界に一つしかないあなた達の身の丈にあったものであればいいのです。それが住まいというものではないでしょうか。

 ところで、「あなたの生活観は?」と問われて、即座に答えられる人は何人いるでしょう。田舎暮らしへの志向は定まっても、さてそこでの生活スタイルは?となると定かでなくなるものです。言い換えれば、私たちは「自分とは何か」を自らに問い掛けることが不得手だということです。せっかくの田舎暮らし、せっかくの自前の家。この際です、「自分とは何か」「われわれ夫婦とは」を問い直してみるのもいいのではないでしょうか。

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2006年8月 3日 (木)

17.住まいを考える 家の建て方

 いわゆる農家建築は「田の字」形がオーソドックスだとしても、新しく建てる住まいに住み手の夢や個性を取り入れたいと思うのは当然です。平面図に間取りを描くのは楽しいので、いざ家を建てることが決まると、誰もがその作業にとりかかるようです。そしてそれが済むと、然るべき工務店に相談に行きます。工務店はこんにちの常でいろいろカタログを出し、壁、床、ドアなど、施主の好みを聞きます。そこで出来上がった家は、日本髪にイヤリング、ドレスに袴のスタイルといったものになりかねません。加えて考えねばならないことに、健康に悪い合成化学接着剤をふんだんにつかった見てくれだけよい新建材が大量に使われることになりかねないということです。

差し出がましい注文ですが、どんな小さな家であれ、また古い農家のリフォームであれ、私は建築家を介在させることをお勧めします。確かに建築家に支払う設計料は建築費の1割が相場ですが、それをケチってはいけません。否、工務店に直に発注しても、その1割などすぐに別なところで消耗されてしまいます。そして、「工務店は地元で、建築家はその土地と縁のない人に」というのが原則です。設計料の中には施工管理も含まれているので、地元と縁のない人のほうが、仕様書どおりに工事がなされているかどうか厳しくチェックできるからです。逆に施工を地元の業者にやらせるのは、住み始めて後になにか不具合が生じたときにすぐに来てくれるし、土地の人ゆえに逃げ隠れできないので、悪質な手抜き工事も避けられるからです。

それに、私たちは素人の悲しさで平面のイメージはできますが、立体構成は不得手です。また、昔の大工も施主も目が肥えていましたから、任せておいても伝統にのっとったしっかりした建物を建てることができましたが、いまの工務店に住まいに対する確固たる思想も、伝統を重んじる技術もありません。それらしき外観の継ぎ合わさった似て非なるものしか出来ないのです。

では、その建築家なるものとどうつきあったら(つまり、建築家を使いこなしたら)よいのでしょうか。そこで初めて田舎暮らし構想の真価が問われることになります

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